私について

あの不合格がなければ ~迷い~

こんにちは。
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山口・広島・福岡 おとなの英会話スクール
あなたの夢を英語で叶える
Eng.ing(イングイング)代表の井原由佳です。

さて、前回のつづきです。
※前回のお話はこちら
あの不合格がなければ~ 大学4回生の春~
あの不合格がなければ~転んでもただでは起き上がらなかった~

何が何でもディズニーで働く!

不合格通知を手にしたことで、逆にそれが次への原動力となり、次なる目標のために動き出しました。

選択肢としては、東京ディズニーリゾートを経営するオリエンタルランドやディズニーリゾート周辺のオフィシャルホテルへの出願も頭にはありましたが、そんな時、たまたま見つけたこちらの募集要項に目が留まったのでした。それが、

米国三越・Cultural Representative Program(通称:CRプログラム)

それは、13か月間、本場アメリカ合衆国・フロリダ州にあるウォルト・ディスニーワールドで勤務するというもの。

この募集を発見した時には、いつもの直感的にですが、これだ!と感じたのでした。

ディスニー街道まっしぐら!・・・のはずが、

正直に言うと、その後の採用過程のことは、よく覚えていません。笑

ただ、そんな中でふと私の心に引っかかった言葉がありました。それは、

「新卒を棒に振るのか?」

帰省した時に言われた今は亡き祖父の一言でした。そう言ったかどうかは今となってはわかりませんが、私にはそう聞こえたのです。

実際は、「新卒だろう(それでもいいのか)?」と言うような柔らかい口調だったと思うのですが、大学まで行ったのに、たった13か月で契約終了となる、要は、契約社員みたいな仕事に就いてその先大丈夫なのか、という、きっと昔の人ならではの考えから、孫を心配するからこそのその一言だったのでしょう。

その時の私は、「えー、いいんだよ!これが私のやりたいことなんだから。」と流したのですが、その後、大阪に戻り一人になったときに、ふと思ったのでした。

「これって親不孝なのかな。両親は何も言わないけれど、本当は安定した職に就いてほしいと思っているのかな。」という思いが頭の中を駆け巡ったのでした。

本当は逃げていた。

正直、それまでの人生も大きな節目での決め事は、ほとんど親に相談することはなく、自分の進みたいように進んできました。

大学を選ぶときも、祖父母が私には直接言わないまでも、「国公立や有名私大でも行けるんだから」と両親たちには言っていたのを知っていながらも、センター試験すら受けることをせず、ただただ留学という想いが叶えられる道を探し、「ここに行きたい」という私大の推薦一本にかけました。

大学では、国籍を問わずたくさんの良き友人ができ、興味深い授業もたくさん受講でき、念願の留学もでき、帰国後には留学生寮に住み込みで管理人もし、振り返ってみれば、想い描いていた以上の経験ができ、この大学に進学できたからこそできた経験だと私は思っていました。

ただ、ふとたまに考えることもありました。


「もし、あの時、国公立の外大を受けていたら、自分は合格できたのだろうか。」
「もし、あの時、一般受験していたら、自分の人生、どう変わっていたのだろうか。」

後悔はしていなかったものの、「なんで挑戦だけでも、しなかったのだろうか?」と。

当時の私は、「私大に行くと決めているのに、またわざわざ一般受験をすれば、親に金銭的な負担がかかるから(センターや国公立受験は)しない。」と言っていたのですが、実際、私大に進学する方がよっぽど金銭的負担がかかるのはわかっていたので、きっとどこかで自分は逃げていた、それを自分で認めたくなくて、そう言っていたんだなと、大学4回になった私はわかっていたのでした。

「これって、また逃げているのかな。」

自分を着飾ることなく、素の自分で評価してくれるところしか受けない、と言いながら、それ以外の分野で評価されないかもしれない、それが怖くて、自分でいつも進む道を1本に絞ってしまっているのだろうか、と。

ミリアルリゾートホテルで不採用になった時、ひどく落ち込んだその理由の一つが、実は、それまでの人生、自分が絶対これはやりたい!受かりたい!と思ったもので、不合格や不採用という「不」という言葉の壁にぶつかったことがなかったのです。不採用になるのが怖い、だから手広く就職活動をせずに、自分が興味あることだけに逃げているのかなと、一瞬、心の迷いが生まれました。

「もっと多角的に広く考えなくていいのか?1年後にはまた就活しなければならない、この道でいいのか?」と。

そう自分に問いかけたとき、家族の気持ちと、幾分か気になっていた社会の目(という所謂、「一般化」の考え)への自分の答えが出たのでした。

これは私の人生。

「新卒だから」という考え方は元々頭にはなかったし、そこで躊躇する自分もいない。そして今回は逃げでもなければ、ある意味、私にとって新たな挑戦だ、とはっきりと思えたのでした。

現にまだこの時点では、採用すらされていないのですから、世界のディズニーで働くチャンスが目の前にあるのに手を出さないほうが、私にとっては逃げだ。そう思ったのでした。

逃げではなく、自分を試す新たな挑戦に。

たぶん、書類審査やWEB試験があったかとは思うのですが、お得意の都合のよい事しか覚えていない性格なので、記憶にあるのは、最終面接の日のことだけ。笑

しかも、説明会と日本語面接もあったはずなのですが、覚えているのは現地ウォルトディズニー社の方(ネイティブ)との英語面接のことだけ。本当に都合のよい頭です。笑

ただ、その時のことは、今でもはっきりと覚えています。

“Hello!”

色どり綺麗なスカーフを巻いた金髪で笑顔が素敵な面接官の背面には、一面ガラス張りの壁があり、そのガラス越しに見える桜のピンク色がいつも以上に綺麗に目に映ったのでした。

To be continued.(つづく)

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